日本能率協会(JMA)は1979年から企業経営者を対象に「経営課題調査」を継続して行っています。2023年は「組織・人事」の課題に焦点を当て、調査結果を同年8月に発表しました。ジョブ型人事やリスキリングが最近話題となっているように、組織・人事部門は経営環境の激しい変化に伴う変革の必要に迫られており、また、各社の施策に経営者の意識や経営理念が強く反映される分野でもあり、興味深い調査結果となっています。
この内容を、人事のプロフェッショナルとして日本企業・外資系企業両方で深い経験を持つ髙倉千春氏とともにひも解いていきます(前後編全2回)。前編は企業の人事・組織が直面する課題の概観と、注目すべき課題について語っていただきました。(取材・文:若槻基文、撮影:西﨑進也、編集協力:東洋経済新報社)
この結果を見て、まさにいま、人事戦略を企業経営のど真ん中に据えるべき時代を迎えています。そのことを多くの経営者のみなさんが感じ取っているのだと、率直に思いました。
すでに企業を取り巻く経営環境は大きく変わっています。以前であれば、企業は中長期の経営計画を策定して、それを着実に遂行していけば成長できましたし、その計画をできるかぎり効率的・効果的に達成できる人材が優秀だと捉えられてきました。
しかし経済・社会の不確実性が高まり、変化のスピードも速まっていますから、今までの延長線上で事業を展開するだけではサステナブルな経営は維持できません。環境変化に対応しながら、新たな価値創造に挑戦していくことが不可欠です。過去に豊富な経験や実績があっても、それは必ずしも新しい仕事を成功させる担保になりません、そのため、「優秀な人材」の捉え方や評価軸も変えていかないといけません。
はい。これまでの日本企業の人材マネジメントは「適材適所」、つまり社員をゼネラリストとして育成し、その社員にふさわしいポジションを用意して配置するというものでした。しかしこれからは、今後目指すべき自社の事業ポートフォリオを戦略的に検討したうえで、そこで求められる人財像を明確にして、登用したり育成したりする必要があります。それが「適所適財」の内容で、前職のメンバーと生み出したフレーズです。
つまり、今まで以上に事業ポートフォリオと人事ポートフォリオを動的に連動させながら経営戦略を考えていくことが重要で、これがいわゆる「人的資本経営」の核となるべき考え方なのです。
もちろん業種によっても個々の企業によっても違いますが、今後共通して重要になるのは間違いなく「専門性」です。私は外資系企業に長く在籍していたので、最近日本で「メンバーシップ型からジョブ型へ」という機運が高まっていると聞いて、ちょっと驚きました。そもそも自分の「ジョブ」が明確でないのなら、みなさんは何のために会社に行くのかな、と。もちろん「メンバーシップ型」の意味合いは理解していますが、私が強調したいのは、日本は企業組織で働く一人ひとりの専門性やプロフェッショナリティを将来動向を踏まえて強化する必要があるということです。
これは日本企業において、社員の専門性を評価する風土がやや乏しいことが背景にあると考えています。修士号や博士号など高い学位も、日本企業においてはあまり高く評価されない傾向があります。彼らが国内外で習得してきた専門知識は、企業の持続可能な経営にとって重要な資産となり得るのですが、残念ながら「学歴が高くても仕事には役に立たない」と捉えられているのが実情ではないでしょうか。
もう一つ、重要なのが人材の「多様性」です。欧米企業は「ベンチ・ストレングス(bench strength)」という考え方を近年非常に重視しています。元々は野球などのスポーツで「ベンチに座っている選手層の厚さ」を意味する言葉で、企業においてはどれだけ多様な人材を自社内で有しているかという人材力の豊富さを指します。
予期せぬ事態が起こった場合、同質性の高い社員ばかりを抱えている企業は十分対応できません。米国証券取引委員会(SEC)は 2021 年夏、上場企業に取締役会の多様性確保を求めるナスダック上場規則の改正を認可しました。社員はもちろん役員も多様でなければ、サステナブルな企業経営は難しいと捉えられているわけです。
人材の専門性と多様性は、これからの企業の生き残りのカギとなるものです。日本企業ももっと危機感を持って取り組むべき課題だと思います。
併せて大切なのが組織風土です。上からの指示・命令に従うトップダウン型の組織文化では、専門性と多様性は生かせません。これまでの組織風土を見直し、定着させていくことが必要となります。今回の経営課題調査の結果で、「組織風土(カルチャー)改革、意識改革」の項目が上位に挙がっていたのも、風土改革・意識改革が重要かつ非常に難しい課題だと経営者が認識していることの表れではないでしょうか。
企業に根付いている風土を改革するには社員の意識改革も必要です。まずは、自分自身が仕事を通じてどんな価値をつくっていくか、キャリア上のWillやPurposeを意識する必要があると思います。そして、その実現に向けて学び、それをもとに挑戦して、失敗したらそこからまた学びとることがますます必要になります。そのプロセスにおいて注目されているのが、「アンラーン(Unlearn=学習棄却)」という要素だと考えています。アンラーンとは、学ぶのをやめるということではなく、新しい学びのために過去の知識や固定観念を取り除くことを意味します。
誰でも自分の成功体験を否定されたらやる気がなくなってしまうものです。意識改革が難しいのもそのためです。そこで新しい企業文化を醸成する意識改革を成功させるためには、過去の成功体験を否定するのではなく、それを認めたうえでいったん脇に置き、新しい自分を構築できるよう促すアンラーンの発想が必要です。
アンラーンは自分一人で実践するのは難しいので、多くの社員を巻き込んで行うと効果的です。私がロート製薬でCHRO(最高人事責任者)を務めていたときには、社内の意識改革とアンラーン推進に実際に取り組んだことがあります。新卒で入社して研修が終わったぐらいのタイミングで、新人社員たちに、研修を通じて感じたことや現場を見て疑問に思 ったことなどを基に、新人のFresh Eyeで何らかの提案をしてもらうという取り組みです。
さらに「新人が先生になる日」と題して、新人社員たちが日ごろどんなことを考えているのか語ってもらい、私たち“旧人”がそれを学ぶという研修イベントも開催しました。会社の未来を担っていく若手が何を考え、どんな意識を持っているのか、率直に向き合うことによ って、年長の社員たちの価値観や考え方の間口が広がり、アンラーンを促すことにもつなが ったのです。
その通りですね。矛盾するような言い方になりますが、環境に対応して変幻自在に自分を変えるというのは、生きる軸というか、根底にある信念、これが先ほど申し上げたキャリア上のWill(やりたいこと)やパーパスですが、このようなものを明確に持っていて、そこに自信がないとできないと思います。体幹がしっかりしていれば、どんな不安定な場所でも揺るがずに立っていられるのと同じことです。
ですから、経営陣やマネジメント層は今後、自分は何者なのか、働くうえで何を大切にしてきたのか、個人として生きるパーパスは何なのか、自分の内面を改めて深掘りして考えることも重要になります。確固たる自分軸を持ちながら、環境変化に対応していく。難しいことですが、このような二律背反の中でリーダーシップを発揮していくことが、これからの経営陣やマネジメント層に求められるのだと私は考えています。
同様のことは企業の人事部門にも言えます。これまでの日本の人事部門の仕事は、採用・研修・人事評価・労務管理など、いずれも決められたことを正確に実行することが重要だと捉えられてきました。もちろんそれは悪いことではなく、かつては同質性の高いゼネラリスト型人材を確保・育成することが重要な人事戦略だったからです。
しかし、これからは違います。先ほどもお話しした通り、事業ポートフォリオと人事ポートフォリオを動的に連動させた経営戦略を策定・遂行していくことが必要です。日本では「そういうことは経営企画室の仕事」などと思われがちですが、人事部門もその中核を担うべきだと私は考えています。
そのためには人事部門が全社に先駆けて、組織風土改革・意識改革に取り組むことが求められます。「時代が大きく変わった」「組織風土改革のためにアンラーンを」などと言っても、人事部門が率先して変わろうとしなければ社内はシラケてしまいます。ぜひ人事部門の変革を起点にして、「適所適財」の人的資本経営に取り組んでいただきたいです。これまで多くの外資系企業を見てきた私の経験上、人事部門が強くなれば、その会社は必ず強くなるはずですから。